嘘をつく




嘘をつく




 行きつけの喫茶店で、店の女性が映画のミニコミを貸してくれた。僕が映画好きなのを知って、「読んでみて」と。

 3号ほど借りたが、そのうちの一つに彼女の投稿が載っていた。ペンネームは姓と名を入れ替え。一部を変えている。返すとき、投稿のことにふれると、「私じゃない」と彼女は言った。

 彼女の文章なのは間違いない。投稿が載る前の号に書き込みがあった。執筆依頼を電話で受けたときのメモ書き。筆跡も特徴のある彼女のもの。

 見え透いた嘘だが、追及はしなかった。なぜ嘘をついたのかというのが気になって、その場でしばらく考えた。原稿の出来が不本意だったから、としか考えようがない。不出来でも「まーあの程度よ」と笑ってすますのが僕の流儀。そうできない何かがあったんでしょう。

 いろんな嘘があるが、動機で最も大きな部分を占めるものは自己防衛。不利益を回避し、傷つくことを避ける心理。これがそうだったと決めつけてるわけではない。


 心理学者のR・V・エクスラインの実験では、嘘を言うときの態度に男女差が見られたそうだ。男性は嘘をつくときに目をそらしがちだが、女性は逆にはっきり相手の顔を見据える傾向がある。要するに女性のほうが堂々と嘘をつくということ。これは僕の実感としても当たっている。これはあくまで「概して」ということで。

 なぜそうなるのかはある程度推測できる。社会的地位の低さや肉体的な力の差などで女性のほうが弱かった。それをカバーするためには狡猾にならざるをえない。「概して」だから、そうならない女も男も当然いるんだけど。


 外国人のつく嘘は、深い考えもなく場当たり的に感じられる。イージーで、必然性もなく、後先考えず、行き当たりばったりに始終嘘をついている。

 じかに聞いたわけではありません。すべて映画の中でです。映画は創作ではあっても、その国の民族性を映し出す。現実の接触よりも、内面が描かれるだけに、より把握しやすいということはある。

 外国人と日本人とでは倫理観や道徳観に大きな差がある。あくまで映画の中でのことだが、窃盗に対する倫理観が大きく違う。東西を問わず、外国人は自分が困っている場合には、盗むことを犯罪と捉えていない。


 僕自身はあまり嘘をつかない。下手な嘘をついてバレれば自分が困るだけ。その場限りの場当たり的な嘘はだめ。矛盾が露出し、いずれ露呈する。嘘をつくなら慎重に。そして一度ついた嘘は最後までつき通す、ぐらいの覚悟を持ってから。

 相手を喜ばせるための心にもない嘘(お世辞)は苦手だ。僕のそうした性格を知らず、無防備に自分の作品の感想を聞いてくる困った人がいる。結局相手を痛い目に合わせてしまう。

 嘘がつけないということではない。話を面白くするために潤色するし、道義上問題ない程度の嘘はつく。嘘をつくことが悪いことだと思ってるわけではない。常習的な嘘は病的だが、必要なとき、即座に適度な方便を思いつけない人はだめです。

 顔色ひとつ変えず、心にもないことを平然と言いきるのは立派な技能だと思う。僕に対して恨みがましい感情を抱いたまま切れた人が、「船越さんはいい人だ」と言ったと、人から聞いた。むかついてるはずの相手を持ち上げることで自己イメージを上げる。こういうことを無意識にやってのける女性がときにいる。したたかな技能だと思う。


 嘘をつくべきではない対象を、誰でもが一人だけ持っている。それは「自分」。精神的に追いつめられると、やむをえず自己正当化して精神の安定を図ることはある。が、常に自己正当化と責任転嫁と言い訳を並べ立てるようになれば、終わりです。

 一度自分を欺くと、歯止めを失うおそれがある。自分自身に対しての常習犯的虚言症に陥れば、自分の内にある問題点を解消できなくなってしまう。逃げ回ってないで自分自身の問題と向きあえよ、と言いたい。

 人間は誰もが弱い。強がってばかりいるんじゃない。弱いことを認めるんだ。傷ついたり落ち込んだりしたときは、感情を押し殺さない。まずは自分が傷ついてることを認めること。そのときこそ、正直に思い切り悲しむことが必要だ。


ひょっこり通信 2004.3.7




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