人間リサイクル計画



心臓取り替え



 かつて関わったことのある人がポツリもらした言葉が頭に残っている。「近い人ほど遠ざかっていく」。それがわかってるならなぜその原因について真剣に考えない。人との関わり方に問題があるのは明白だろう。

 次々人が去っていくことを自覚しながら、そのことを真剣に考えようとしない人が何人もいた。失敗し続けながら自分のやり方を改めず、愚直に失敗をリプレイする。どうしてこうも頑固なのか。

 自分の誤りを本当はわかってるんだと思う。認めたくないだけ。意識することから逃げてると思う。

 哀れに思うこともある。なるべくいい方向へ向かわせたいと思っていた。本人の行動原理に問題の根本原因があることを認めない人には、手を差し伸べる方途を見つけられない。今でも「なんとかしてやれなかったか」と思う人は多い。


 彼らに共通する部分はいくつかある。対人的なコミュニケーション能力に問題がある。これは言うまでもない。もう一つ、なんらかのスキルを有していた。

 映画監督をめざしていたY君。クリエイティヴな才能のあるなしはともかくとして、(僕にはない)不屈の精神を持っていた。彼の問題は、作品に対する理解者の不在。手伝ってくれるスタッフでさえ、彼が何をやりたいのかを理解できない。少なくともスタッフには作品意図を理解させなければならない。方向性が見えなければ動きようがない。

 ずいぶん昔だ。メールもなかった頃、手紙で彼を諭そうと努力した。彼の考えは、制作者が観客の理解に歩み寄るのではなく、「映画を観る者が映画を理解するよう努めるべき」ということだった。この時点で、彼を袋小路から救い出すことを断念した。

 今年、街中で彼とすれ違った。声をかけそびれた。彼は気づいてない。あまりにも老けこんでいて、実年齢より少なくとも15は上に見えた。


 「近い人ほど遠ざかっていく」と言ったKさんは典型的な自己チューだった。自分にとっての利益しか考えられない。知れば知るほど人が離れていくのは当然。まわりのすべてが自分に奉仕すべきだなんて、どうして思えるのか。

 彼ら不適応者の重要な共通項。猪突猛進で、パワーがある。そのパワーを賢明な方角へ、ほんのちょっとシフトさせてやれば、もうちょっといい人生を送れただろうに。

 さらにもう一つ共通すること。目の前の人あるいは出来事を見ているのに見えてない。以前から不思議に思っていた。認識にフィルターがかかり、一部を排除する。それがどういうメカニズムなのかは不明だが、そのせいで自分をとりまく状況を理解できない。


 彼らは常に妄想を見ている。普通の人も夢想や空想、妄想を持っているから、その点に限れば世間一般と変わりない。問題は、現実を妄想と一致させようと躍起になること。Y君のように自分が映画の巨匠であると認識するのはかなりヤバい妄想だ。妄想というのは他人と共有できない私的幻想にすぎない。それを現実と見なすのは危うい。

 映画の巨匠よりは控えめな妄想かもしれないが、Hさんは「自分は高名な先生である」と妄想していた。学校の先生になったことはないが、先生であろうと奮闘努力していた。先生といっても子供や学生を集めて遊んでるだけの話。それだけなら特段、害はない。人を騙しては自分の活動(お遊び)の駒(スタッフ)として活用しようとするので、知人には注意を呼びかけている。

 この人も猪突猛進。一時的に落ち込んでもすぐ立ち直る。この人の特技はスタッフをスカウトする際の積極性。使える人材を見つけ出しては協力させようと、熱心に勧誘していく。偉い立派な先生だと思わせ、テキトーに嘘をちりばめるが、言葉の裏づけとなるものは空っぽ。

 嘘はすぐバレる。ボロが出て人が離れていく。離れると補充する。のくり返し。補充から離反までのサイクルはおおよそ平均で3か月。えんえんと非効率的なことをくり返す。


 彼らはいずれも能力があり、やる気がある。なのにエネルギーを投下する方向がちょっと狂っている。もったいないから再生させたい。人生をリスタートさせてやりたい。が、僕は再生させるスキルがない。結局のところ、人を沈没させる役割ばかりを担っていた気もする。

 彼らがやるべきことは、妄想と現実とのけじめをきっちりつけること。妄想は自分にだけ都合のいいストーリー。妄想遊びで人生を棒に振るようなまねをしないことだ。それ以外は改善しようにも、難しい。


ひょっこり通信 2017.6.18

菅野拓、橋本敬良、吉里孝




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