男女共同参画関係ややこしい




男女共同参画関係ややこしい



 男女平等社会は世界のどこにあるか。先進国を含め、どこを見てもいまだ男性優位社会。結婚して姓が変わるのはどこでも女性のほう。平等はタテマエ。巧妙に本音が覆い隠される。

 本音を隠そうとしないのはイスラム原理主義。男性優位社会の固定化をめざすために捏造されたもので、最悪の勘違い主義。文化の違いといって認めるわけにはいかない。

 日本国内にもイスラム原理主義と同レヴェルの思考を持つものたちが呆れ返るほど多くいる。彼らは「男女共同参画」という言葉を蛇蝎のごとくに嫌っている。女性の社会進出が日本を弱体化させる(させた)と、本気で信じている。男は外で仕事。女は家庭。それが当り前という考え方。日本をだめにしているのは彼らのほうです。


 性差は現実に存在しています。体質の問題ではなく、精神的な面で。諸外国の例をつぶさに調べたわけではないので、日本に限定します。性差は、体力差によって生じた強弱関係に由来すると考えるのが自然でしょう。体力差は女性がいくら頑張っても、平均値としては越えられない。体力差による影響は見知った男女の間だけに限らない。赤の他人どうしでも見られる。

 正体を知らない相手の場合、女性はとりあえず男性をたてておく傾向がある。見知らぬもの同士の男女が狭い場所ですれ違おうとするとき、女性のほうが譲り、相手を先に通すのが一般的。女性は無意識のうちに「無難」を選択し、トラブルを回避している。となると、男性の側は譲られることが当然と認識するようになる。これに類した行動はいろんな場面で起こっている。「譲る」行動が積み重なれば、男女双方に格差が感覚として固着していくことになります。


 制度という器を変えるだけでも変化していくが、同時に人の意識も動く必要がある。問題点は男性のほうにより大きくあると思うが、女性の側にも意識変革が求められる。「一歩前へ出る」意志が必要。出る杭は打たれる式の世界なので、少数者が前に出るだけでは解決にならない。女性全員が一歩前へ足を踏み出す、ぐらいの覚悟が必要になる。

 同時に男性は、一歩ないし半歩、女性に譲ろうという意識を持たなければならない。半歩譲ってようやく平等になる、ぐらいに思ったほうがいい。

 歴史的な積み重ねが性別の格差を生んできたので、イーヴンにもっていくには、イーヴン以上のスタンスで逆回転させていかなければならない。学校のクラス名簿の男女混合を廃止し、女性を先にする。企業の管理職や役員の男女比率は、社員の男女比率と同一にする。映画のキャスティング比率を一対一にするよう映画会社に要請する(現状は1:2なので、相当困難)。などなど、目に見える部分で状況を変えてやることが必要。

 「男女共同参画」という言葉じたい、差別意識のなごりがある。言葉狩りは好まないが、「男女」に代わる言葉をぼちぼち考えてもいいんじゃないか。


 21年前、この通信に性差問題で一文を書いた。その時点での状況認識を読み返した限りでは、人々の意識変革が進んだことが感じられる。日本の風土や社会システムが長年強いてきた性差圧力が弱まってきている。

 目の前の風景が変われば、自然と人の心も変わっていくものだ。まあ、ぼちぼちと。


ひょっこり通信 2014.10.5




世界は女のものである Il Mondo e Donna

ストーカーというもの

長岡京市男女共同参画計画第5次計画

長岡京市男女共同参画推進条例(案)に対する意見公募結果

長岡京市男女共同参画審議会

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